London Ale IIIがNEIPAを変える
マンチェスターのBoddington醸造所で生まれたWyeast WY1318「London Ale III」は、現在世界中のNEIPA醸造の標準酵母となっている。その発酵度71〜75%、低凝集性、そしてゲラニオールをシトロネロールへと変換するバイオトランスフォーメーション能力が、シトラやモザイクのホップアロマを何倍にも増幅させる——その科学的メカニズムを紐解く。
マンチェスター発、世界標準のNEIPA酵母
歴史あるイギリス・マンチェスターのBoddington Brewery(ボディングトンズ醸造所)は、「マンチェスターのクリーム」と称される淡色エールで知られていた。この醸造所が使っていた酵母の系統が、後にWyeast社のカタログに「WY1318 London Ale III」として登録され、大西洋を渡ってアメリカのNEIPA革命の立役者になるとは、誰も予想しなかっただろう。
現在、Wyeast社のWY1318は、ホームブルワーからプロブルワーまで、NEIPAを醸造するなら真っ先に選ばれる酵母として定着している。クラフトビール専門サイト『Beer Maverick』は「最高のニューイングランドIPAを造りたいのであれば、他のどの株よりもこの株を選ぶ必要がある」と断言するほど、その信頼は絶大だ。
発酵度71〜75%が生む、甘みとボディの設計
酵母の働きを評価する指標の一つ「見かけ発酵度(Apparent Attenuation)」は、酵母がビール中の糖分をどれだけアルコールに変換したかを示す。数値が高いほどドライ(辛口)に仕上がり、低いほど残糖が多くボディが残る。
London Ale IIIの発酵度は71〜75%。これはIPAによく使われる米国産酵母(発酵度75〜82%程度が多い)と比べてやや低めの数値だ。つまり、この酵母を使うと意図的に糖分が「少し」残り、ビールにほのかな甘みとマウスフィール(口当たり)のボリューム感が生まれる。
NEIPAが求めるのは、苦みの少ないジューシーな仕上がり。適度なボディが残ることで、ホップの果実香が単に揮発するのではなく、液体に支えられた形で口の中に長くとどまる。この設計が、ドライホッピングで加えたシトラ(アルファ酸11〜13%)やモザイク(11.5〜13.5%)の香りを「飲み込んだ後まで続く余韻」に変える。
ゲラニオールをシトロネロールに変換するバイオトランスフォーメーション
London Ale IIIが最も注目される理由は、「バイオトランスフォーメーション(生体内変換)」と呼ばれる現象への関与だ。これは、発酵中に酵母が分泌する酵素が、ホップ由来の香り成分を別の化合物に変換するプロセスを指す。
ホップにはゲラニオール(geraniol)と呼ばれるモノテルペンアルコールが含まれており、特にCentennial(センテニアル)、Galaxy(ギャラクシー)、Citra(シトラ)といった品種に豊富だ。ゲラニオール自体はローズやゼラニウムに似た花香を持つが、揮発性が比較的低い。
London Ale IIIはゲラニオールレダクターゼという酵素活性を持ち、発酵過程でゲラニオールをシトロネロール(citronellol)とリナロール(linalool)に変換する。シトロネロールはバラやレモンに似た爽やかな香りを持ち、リナロールはラベンダーや柑橘系の香り。どちらもゲラニオールより揮発性が高く、グラスに注いだ瞬間に鼻に届きやすい。
この変換が、「ホップをそれなりに使っただけなのにやたらと香る」という体験を生む。ドライホップを同量使っても、London Ale III以外の中程度〜高凝集性の酵母と比べると、バイオトランスフォーメーション活性の差がアロマプロファイルに明確な違いをもたらすことが複数の醸造研究で報告されている。
低凝集性が作り出すヘイズとホップ保護の二重効果
London Ale IIIの凝集性(フロキュレーション)は「低い」に分類される。凝集性とは、発酵後に酵母が互いにくっついて塊(フロック)を形成し、タンク底部に沈殿する度合いを指す。凝集性が低い酵母は沈殿しにくく、ビール中に長く浮遊し続ける。
この特性がNEIPAに与える恩恵は二つある。第一が、Hazy IPAを象徴する外観上の「濁り」だ。浮遊する酵母が光を散乱させることで、オレンジジュースのような不透明な見た目が生まれる。透明なIPAとは視覚的に明確に差別化される外観だ。
第二が、ドライホッピング中の相互作用だ。一次発酵の終盤に投入するドライホップは、ビールが低温に下がるほど揮発性芳香成分の溶解効率が落ちる。酵母が浮遊している状態でドライホップを加えると、酵母細胞の表面がホップ精油(オイル)の微細な液滴を物理的に捕捉・保護し、気化による損失を抑えるという仮説が提唱されている。この段階でもバイオトランスフォーメーションが継続するため、添加直後のアロマ変換が最大化される。
NEIPA醸造でのLondon Ale IIIの実践的な使い方
プロの醸造家とホームブルワーの経験則から、London Ale IIIを最大限に活かすためのパラメータが蓄積されている。
発酵温度は19〜21°Cが推奨される。18°C未満になると発酵が緩慢になりすぎ、22°Cを超えるとフューゼルアルコール(雑味の一種)が増加しやすい。一次発酵の後半、最終比重の3〜5ポイント手前でドライホップを投入するのが基本だ。まだ活動中の酵母がバイオトランスフォーメーションを行いながら残糖も消化するため、香りと発酵の完了が同時に進む。
ドライホップの量はNEIPAでは仕込み1リットルあたり5〜15gが目安。品種としてはCitra(シトラ)、Mosaic(モザイク)、Galaxy(ギャラクシー)との相性が特に良い。これらはゲラニオール含有量が高く、London Ale IIIのバイオトランスフォーメーションの基質を豊富に供給できる。副原料として小麦やオーツ麦を全麦芽の15〜25%加えると、タンパク質がヘイズを安定させ、滑らかなテクスチャーを強化する。原麦汁比重は1.060〜1.075(アルコール度数6〜8%前後)の範囲が一般的だ。
ドライ版LalBrew Verdant IPA——入手の壁を越える選択肢
Wyeast WY1318は液体酵母であり、冷蔵保存・輸送が必要で使用期限も存在する。日本国内のホームブルワーにとっては入手コストが障壁だった。
この問題を解消したのが、カナダのLallemand社がイギリスのVerdant Brewing Co.と共同開発した「LalBrew Verdant IPA」だ。London Ale IIIと同系統の株を乾燥粉末化しており、常温保存・長期保管が可能。Beer Maverickも「現時点でLondon Ale IIIの唯一のドライイースト版」と位置づけている。使用量は仕込み10Lあたり約11gが目安で、液体酵母に比べてラグタイム(発酵開始までの時間)が短い利点もある。
White Labs、Omega Yeast、Imperial Yeastも同系統の株を独自ブランドで展開しており、品質管理や入手経路を考慮して選べる環境が整っている。NEIPAが市場に定着した今、London Ale IIIという酵母の系統は単なる「人気株」を超え、一つのビアスタイルを規定する存在になった。その起源がイギリスの労働者向けエール醸造所にあるという事実は、ビール文化の連続性を示す面白い証左だ。
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出典
- Beer Maverick: While Wyeast’s specific strain is by far the most popular, there are actually plenty of other branded versions of it. The newest is Lallemand’s Verdant IPA Dry yeast, and is – at this point – the only dry version of it.
- Beer Maverick: The tropical notes from this yeast goes extremely well with the flavors and aromas you typically get from IPA hops. Citrus, tropical fruit and floral all mesh with the esters this yeast produces.